自粛

先週末、近所の大阪城公園を散歩していたのだが、花見客はやはり少なかった。
三~五分咲きだったせいもあるが、東日本大震災を受けての
「自粛」ムードの影響もあるだろうと思う。

某知事のように「自粛」を強制するのはいかがかなと思うが、
「酒を飲んでどんちゃん騒ぎ」という気にはやはりなれない。

俯瞰的に見れば、人々が消費を過度に控えるのは
確かに日本経済にとってマイナスだろうが、
人が生きていくためには最低限の消費活動(=お金の使用)は発生するわけで、
当座のところはそれで十分なのだと納得するしかないのではないか。

150年に一度の大災害が同じ国土で発生して3万人近くが命を奪われ、
20万弱の人が家を追われて避難せざるを得ない境遇にあるなかで、
まだ一月も絶たぬうちに、まだ数千人の遺体が埋まっているとされるのに、
「自粛するのをやめよう」などと、一種のスローガンのように唱えるのには、
人としてどうしても違和感を禁じ得ない。

これほど多くの人々の無惨な死や過酷な境遇を前にすれば、
悼むときには悼み、悲しむべき時は悲しみ、
その喪失と痛みの過程を省略することなく行動を起こすべきで、
「自粛」を強制するのも、「自粛」をやめようと提案するのも、本質的には違う気がする。

ちなみに、作家の伊集院静氏は、自分さえよければいいという買占め行動に
社会の虚無化を感じるとしたうえで、とあるコラムで、以下のように述べている。

「自粛するというわけではなく、基本的に質素な生活にどう変えていくかが問われている」

個人的には、普段使う遊興費や飲食代を募金したり、
風評被害に遭っている生産物の購入費用に充てたりするのもいいと思う。


今後の焦点は、原発の後処理や避難民の救済に当てられるだろうが、
語り継がれるであろう悲惨な現実に耳を眼を背けることなく、生きていきたい。
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by worthy42 | 2011-04-06 23:46 | 踊らない愚者(ニュース感想等)
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