平安の都にて不穏を思ふ

今日から仕事のため1週間弱、京都でホテル暮らし。

とはいえ、仕事に追われる身のため古都の彩りや雅を体験できそうにない。

唯一の楽しみといえば、隙を見て夜な夜な酒を求めることができそうなことくらい、か。

来週には三十路を迎えようとするのに、本人にまったくその気がないのだから救いようがないといえば救いようがない。

そんなことを思いつつ、会津若松の事件に思いを馳せる古都の酩酊夜。

頼むからしたり顔で"動機の解説”をするのはやめてくれ。
「動機はまったく常人の理解の範疇を超えていて分かりません」
それはそれでいいではないか。

学問というのは分からぬことを物知り顔で分かったフリをすることではなく、分からぬことと分かることの境界線を明確にすることなのだ。

突然母親の首を切って、バッグに入れてネカフェに行って、タクシーに乗って、出頭して・・・そんな心の深層なんかに誰が密接に近づけるというのか。

最近の「親殺し」のデータなど集めてみても不安を煽るだけの数字に過ぎない。

「挨拶をしてくる礼儀正しいいい子で」「よく家族で旅行に行ったりしていて仲が良かった」「おとなしかったが頭のいい子で」

周りが知っていると思い込むより多くのことを人は抱え、考えているのだ。

アッパーやクロスカウンターを交えることなく、距離を置くジャブだけで相手の力量を悟ったと思い込むものこそ、理解できる範囲で凄惨な事実の動機を都合のいい落し所に落とすことで自らの安全を保障したくなるのだ。
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by Worthy42 | 2007-05-17 01:18 | 情熱と怠惰の断片(日記的)
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