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End of the Day

時代の節目とでも言うべき瞬間がある。

オリンピックをかけたレースのスタートからわずか10キロ地点で
驚異的なスロースペースで走る先頭集団から
じりじりと引き離されていく高橋尚子を目の当たりにして
この瞬間がまさにそうなのかなと漠然とした思いに囚われた。

レースを見届けることなく外出先でコーヒーにブランデを加えながら、
ふと、ある疑問が頭に浮かんだ。

その一歩一歩が北京オリンピックへと繋がる希望に満ちた道程では決してなく、
自らの選手生命を断ち切る絶望にまみれた道程でしかないことを認識したうえで、
彼女はいったい何を考えながら走っているのだろうか、と。

金メダリストである自分が、
一回り以上も年下の無名な選手に次々と置き去りにされていく屈辱を、
彼女はどのように捉えていたのだろうか、と。


だが、記録的なスローペースのなか10キロたりとも満足に走れないことに、
高橋ほどのレベルにある選手が事前に予測できないことなどありえない。

だとすると、彼女は、もはや自らの望むレベルの走りができないことを
レース以前から悟っていたのではないか。

翻って、自らが言う”夢”―――オリンピックへの最後の一枠に滑り込むなど、
絵空事でしかないと、スタートの号砲を聞く前から分かりきっていたのではないか。


だとしたら、なぜ、彼女は、走り続けるのか。


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高橋尚子は去年8月に右膝を手術していたらしい。
あくまでオリンピックに挑戦するために。

頼るべき武器であるはずの足にメスを入れ、
ますます増大する不安と絶望に始終苛まされたであろうことは想像に容易い。
現に自らの終局が刻一刻と、公開処刑を思わせる過酷な状況下で近づいてくる。

それでも、彼女は最後まで走り抜いた。

そして、まだ、もう少し走りたいと会見で語った。

笑顔さえ浮かぶ晴れやかな顔で言葉を紡ぐその姿を見て、
そして、27番目の順位で競技場に戻ってきた彼女を
大勢の観衆が待ち構え温かく迎えたと知って、
レース途中にトイレに駆け込みながら最後まで走り続けた理由が、
少しだけ、分かったような気がした。

走る姿で言葉を語ることができる稀有な存在だという認識を新たにした天性のランナー、
Qちゃん時代の終焉を告げる印象的なレースだった。
by Worthy42 | 2008-03-09 18:51 | ひとときの残滓(スポーツ)
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