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原爆の日に

あなたが運転していた車がスリップしてしまい、車は崖から転落した。

気がつくと、あなたはかろうじて岸壁に生えた細い枝を右手で掴んでいた。
左肩には3歳の次女が縋りつき、右足には生後間もない長男、
そして左足には5歳の長女がしがみついている。

枝は重みに耐えられそうもなく、すぐにでも抜けてしまいそうな状態だ。

あなたはどうする?

―――彼は左足を動かし、もっとも重たい長女を振り落とした。


全員を助けるために全員が犠牲になる(オール・オア・ナッシング)のを避け、
誰かを助けるため、誰かを犠牲にする。

非常に合理的な判断を、彼は下した。

これは確か漫画で読んだシチェエーションで全く関連性はないのだが、
今、テレビで原爆を日本上空に運んだ人物のインタビューを聞いて思い出した。

彼は「原爆を使用するべきではなかった。ただ、あの投下は正しかった」
「より多くのアメリカ人と日本人を救うためには必要だった」というようなことを話していた。

この発言は、多数を救うためには少数の犠牲はやむを得ないという(彼らにとっては)極めて(都合の良い)合理的な判断に則っている。

原爆の投下はなくとも、大量の米兵が日本に上陸し、文字通り「侵攻」していたら
より多くの戦死者(それはないが)や直轄支配によって後世への悪影響がでていたかもしれないということだ。

そんなことは憶測の域を出ないし、そんなシミュレーションには意味がない。
そもそも、体の良い正当化でしかない。

ただ、そんな尋常ではない判断をさせた直接的な原因は、まさしく尋常ならざる状況(戦争)だからこそ下されたものだという認識は幾分正しい。

上記の漫画では、娘を振り落とした父親は狂気の果てに失踪し、
娘の悪夢に苛まされた果てに息子を殺そうと決意する。

100年後にも今日という日が変わらず平和を祈る日であることを願うとともに、
死という”犠牲”の観念を人間らしい健全な価値観で
世界中の人間が共有できることを切に祈る。

(追記)
ドイツのドレスデンに留学していた頃、友達と食事をしていると何かの拍子に
「アメリカだって日本に原爆を落として何万人も殺したたじゃねーか」と
アメリカ人の前で発言して気まずい雰囲気を作った思い出が頭を過ぎった。

私はそのことを後悔していないが、言い方があるなと今は思う。
by Worthy42 | 2007-08-07 00:15 | ひとときの残滓(スポーツ)
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