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On Fire

NBAプレイオフ:カンファレンス・セミファイナルは接戦続く

NBAプレイオフ:ジャズがウェスタンカンファレンスファイナルへ


シーズン前も、シーズン終了後も、プレイオフのファーストラウンドが終わっても、ただの一度もジャズがいの一番にカンファレンスファイナルへ進むとは予想だにしていなかった。NBAを20年も見てきたのに、なんとまあ役に立たない歳月だったことか(笑)。

それに引き換え、残りの3カードは意外と接戦模様を呈している。特にすんなりと3連勝したデトロイトは、それからアウェイ、ホームと2連敗。明日は再びアウェイ、もし落とすようなことが合ったら最終戦をホームで迎えるとはいえ、予断を許さない展開になるだろう。

クリーブランド対ニュージャージーも意外や意外、ニュージャージーの健闘が光っている。1勝3敗で迎えた敵地での第5戦に完勝。続くホームでの一戦を手堅く取れば、最終戦は分からない。なんといっても、オフェンスをコントロールできる司令塔と爆発的な点取り屋がいるだけに、短期決戦では不気味な存在になりえる。

事実上のファイナルとの呼び声が高いフェニックス対サンアントニオのシリーズは、期待に違わない熱戦となっている。第5戦を終えてサンアントニオが3勝2敗とリードして王手をかけ、次戦、ホームにフェニックスを迎える。これまでキャリアで年間MVPを2度受賞している、S.ナッシュとT.ダンカンとの対決でもあるのだが、ややナッシュが押され気味な感じが。それよりも、S.マリオンに元気がないのが気になるか。対照的にサンアントニオでは、アルゼンチンからの刺客、E.”タンゴ男”・ジノビリが出色の出来。オーリーといい、土壇場に強い選手が多すぎるぞ(笑)。なにはともあれ、フェニックスが手堅い手堅いサンアントニオの牙城を崩せるのか、第6戦が見ものだ。

・・・と書いてはみたが、何気にファイナルの組み合わせを予想している。思い立ったのはUEFAチャンピオンズリーグの決勝の組み合わせがふと頭をよぎったから。リバプール対ミラン。”イスタンブールの奇跡”と呼ばれた、あの2年前と同じカード。そう、変な巡り合わせを感じた私の予想は、同じく2年前のファイナルの再現、「デトロイトVSサンアントニオ」。

心のどこかでは抵抗がありながらも、この組み合わせに実際に落ち着くのでは、とも受け止めている。

ナッシュ率いるフェニックスをファイナルで見たいのだが。
# by Worthy42 | 2007-05-18 02:29 | バスキチ(NBA)

平安の都にて不穏を思ふ

今日から仕事のため1週間弱、京都でホテル暮らし。

とはいえ、仕事に追われる身のため古都の彩りや雅を体験できそうにない。

唯一の楽しみといえば、隙を見て夜な夜な酒を求めることができそうなことくらい、か。

来週には三十路を迎えようとするのに、本人にまったくその気がないのだから救いようがないといえば救いようがない。

そんなことを思いつつ、会津若松の事件に思いを馳せる古都の酩酊夜。

頼むからしたり顔で"動機の解説”をするのはやめてくれ。
「動機はまったく常人の理解の範疇を超えていて分かりません」
それはそれでいいではないか。

学問というのは分からぬことを物知り顔で分かったフリをすることではなく、分からぬことと分かることの境界線を明確にすることなのだ。

突然母親の首を切って、バッグに入れてネカフェに行って、タクシーに乗って、出頭して・・・そんな心の深層なんかに誰が密接に近づけるというのか。

最近の「親殺し」のデータなど集めてみても不安を煽るだけの数字に過ぎない。

「挨拶をしてくる礼儀正しいいい子で」「よく家族で旅行に行ったりしていて仲が良かった」「おとなしかったが頭のいい子で」

周りが知っていると思い込むより多くのことを人は抱え、考えているのだ。

アッパーやクロスカウンターを交えることなく、距離を置くジャブだけで相手の力量を悟ったと思い込むものこそ、理解できる範囲で凄惨な事実の動機を都合のいい落し所に落とすことで自らの安全を保障したくなるのだ。
# by Worthy42 | 2007-05-17 01:18 | 情熱と怠惰の断片(日記的)

青と黄色と


Jリーグで好きなチームを挙げるなら①FC東京②ジェフ千葉の私にとって、今日はこの2チームが激突する願ってもない(悩ましい)一日。たまたまBSで中継があったので、見入っていました。

これまでのところ戦前の予想に反して下位に低迷する両チームにとっては少しでも順位を上げるための大切な一戦だったのですが、どうやらその思いが強かったのはFC東京のようでした。

取り立てて巧いプレーはなかったものの、敵陣からのボールへの精力的な寄せは圧倒的でした。少しでもパスの出し所を減らそうというよりも、むしろ敵陣の高い位置でボールを奪ってやろうという意識がそこかしこに垣間見えて、結局、中押しの2点はそのボールチェックからのものでした(3点目はキーパーへのバックパスチェックがゴール)。

ワンチョペは相変わらず緩慢な動きに終始していたように見えたけれど、とにもかくにもボールへの寄せの意識はチームとして一貫して統一されていました。かなりの運動量を要するので夏場に同じようなサッカーをして勝てるのかと問われれば疑問符ですが、それでも不振を脱するにはまず気持ちから「攻め」の姿勢で臨むことは、サッカーだけではなくあらゆるスポーツに共通して必須でしょう。

何はともあれ、東京らしい華々しいサッカーの片鱗が見えたので、あとは稀代のドリブラー・石川直が復帰するのを待ちましょう。

ジェフは東京の出足の良さに気圧されたのか、終始、局面で仕掛けるという意識が希薄でした。このチームこそ膨大な走量と覚悟を持った飛び出しを必要とするハードワークなチームなのにと、お株を奪われた感がしないでもありません。もっとも最初の絶好機に決めておけば、試合はまったく違ったものになったかもしれませんが。

こちらはイングランドの冬のどんよりと淀んだ天気のようなサッカーが、シーズンを通して続くのではと嫌な予感がしています。
# by Worthy42 | 2007-05-13 02:24 | レパバーンの夜に(サッカー)

NHK「トップランナー」の可能性


私はNHK-BSで不定期に放映される『アクターズスタジオ』というインタビュー番組の大ファンで、よく熱心に見入ってしまう。ジェームズ・リプトンという思慮深くユーモラスな教授然とした司会者(学長らしい)と俳優・映画監督との公開対面インタビュー(トークショーの趣きもある)の掛け合いも見事ながら、このショーを何より盛り上げているのは、観客がニューヨークの演劇学校『ニューヨーク・ジ・アクターズスタジオ』の俳優・脚本家志望の学生達(といっても年齢層はさまざま)であるということ。学校の授業の一環ゆえ、観客はゲストの一挙手一投足をつぶさに観察し、質問コーナーに至っては、質問は技術論から精神論まで及ぶほど専門的で、画面を通して見ているこっちまで学生達の情熱が伝わってくるほど熱を帯びている。

イベントをやっていた頃からずっとこんな真剣なトークショーを作ってみたいと思っていて、今でもその可能性をちびちび探ってなくはないのだが、今もっとも近いのがNHKの『トップランナー』。最近、注目している脚本家・作家の本谷有希子が出演するとあって注目して見ていたのだが、雰囲気はわりとアクターズスタジオに似ているなと思った。

今話題の人物の素顔が垣間見えて興味深いし、驚くほどオープンなハリウッドの芸能人とは違って、公衆の面前に姿を出す(大衆と触れ合う)ことに二の足を踏む有名人(特に俳優・女優の類)が多い日本で、この手の「ノンフィクション・ショー」は貴重だ。

司会者(山本太郎と本上まなみ)が二人とも若いせいか、遠慮がちな割には浮かれてゲストより前面に出ようとしたり、必要以上に媚びたりするのは気がかりだけど、それでも構成にはしっかりとゲストに迫ろうとする心意気が見て取れて気持ちがいい。

惜しむらくはゲスト本位過ぎるため余裕がないせいか、観客の表情を捉えるカットが少なく、質問コーナーの時間も(オンエア上は)短かったことか。

観客が全員俳優・脚本家志望の学生というわけにはいかないので、アクターズスタジオのように専門的な鋭い質問はなかなか出ないが、この日は脚本家志望のような女性もいたようで、質問もなかなか的を得ていた(全編を通してミーハー的な盛り上がりに欠けた気がしたのは、そんな”野心”を持った観客が多く、勉強の心構えに来ていたせいではなかったのかと勝手に思っているのだが)ので、そのほかの質問についてももっと聴いてみたかった。

どうせ公開インタビューをするなら、目をキラキラさせて羨望の眼差しを送るだけのファンの観客より、何かを学ぼうと話に聞き入り、鋭い質問を浴びせる観客の方が緊張感も出て、傍目で見ていても楽しい。「夢見る素人」と「玄人」の掛け合いほど熱を浴びる瞬間はないだろうし、それが将来の”トップランナー”を生むのだとすれば、これほど見応えのある”観客参加型ショー”はないだろう。

まだまだ『情熱大陸』ほどゲストには迫れていない(あのナレーションの声のせいもある、笑)けれど、なかなか日本ではお目にかかれないタイプの番組なので長続きしてほしいなと思う。
# by Worthy42 | 2007-05-13 01:37 | 情熱と怠惰の断片(日記的)

悠久の亀裂の断片


ふたりは、最初に出会ったころ、 いつもいっしょに映画を見に行っていた。それはある意味で、 二人がともに楽しめるひとつの文化的な催し物だったのだ。それがいまは、彼らがただひたすら過ぎていってほしいと願う長い時間を埋めるためのものになっていた。

それまでの数年間のうちに、 ふたりの間にはある距離ができていた。 彼らは互いに、徐々に、 しかし容赦なく心が離れていったのだ。 トラウマを感じさせるようなことはなかった。大声の喧嘩も、皿が飛ぶことも。ただ、以前燃えていたところに冷ややかさが、ことばが溢れていたところに沈黙があるだけだった。彼らは互いにまだ愛を交わしてはいたが、それも以前よりまれな、何か冷たい、ばらばらの情、欲望というよりは必要に迫られた情に駆られての行為だった。

『夜が終わる場所』より
# by Worthy42 | 2007-05-12 14:09 | 美句妙文礼賛(魅惑の文言集)